神のエコノミー

 

1.  神の家庭の管理、神の家庭の行政上の按配、神聖な経綸

 

2.  彼の大いなる喜びによって神が立てられた計画

 

3.  神がキリストの中で立てられた永遠のご計画

 

4.  三一において、選びの民に神ご自身を分与する

 

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1.  神の家庭の管理、神の家庭の行政上の按配、神聖な経綸

 

神の新約のエコノミーとは何でしょうか? 神の新約のエコノミーとは神の家庭の管理、神の家庭の行政上の按配、神聖な経綸(計画)です。ここの経綸の意味は、按配、すなわち計画です。

 

 このエコノミー、この経綸はエペソ人への手紙第 1 章 10 節と第 3 章 9 節で啓示されています。エ ペソ人への手紙第 1 章 10 節は言います、「時代の満了時のエコノミーへ至るためです。すなわち、 キリストの中で、天にあるもの地にあるもの、すべてのものを彼の中で、かしらにつり上げようと されたのです」。ここで「エコノミー」と訳されたギリシャ語は「オイコノミア」で、英語の「economy」(エコノミー)はこの言葉から来ています。神は一つのエコノミーを持つことを計画されました。宇宙のあらゆる王国、すなわち天使の王国も、人の王国も、動物の王国も、植物の王国も、すべてこのエコノミー、この経綸のためであり、それらはその完成に向かって動いています。

 

 エペソ人への手紙第 1 章 10 節で「エコノミー」と訳されたギリシャ語は、「執事職」とか「家庭の按配」と訳すこともできます。また「行政」という言葉を使ってもよいでしょう。なぜなら、やがてこのエコノミー、執事職、家庭の按配は永遠の行政となるからです。宇宙全体は、やがて一つの行 政の下に置かれるでしょう。ここで行政という言葉を使うのもよいでしょうが、わたしはむしろエコノミー、執事職、家庭の按配という言葉を好みます。

 

 神の目的に関する「エコノミー」という言葉は、多くのクリスチャンにはなじみが薄いかもしれ ません。エコノミーのギリシャ語である「オイコノミア」はエペソ人への手紙でもう二回使われて います。わたしたちはすでに見ましたように、エペソ人への手紙第 1 章 10 節で、パウロは時代の満 了時のエコノミーにおいて、すべてのものがキリストの中でかしらにつり上げられると言っていま す。続いて、第 3 章 2 節で、彼は神の恵みの執事職に言及し、第 3 章 9 節では奥義のエコノミーに 言及しています。第 3 章 9 節で、パウロは言っています、「万物を創造された神の中に、各時代にわたって隠されてきた奥義のエコノミーが何であるかを明らかにして、彼らが見えるようになるためです」。神の奥義とは、神の隠された目的です。神の目的はご自身を彼の選びの民に分与することです。ですから、神の奥義のエコノミーがあります。この奥義は各時代にわたって、すなわち、永遠から過去のすべての時代を通して神の中に隠されていましたが、今や、それは新約の信者たちに明らかにされたのです。

 

 テモテへの第一の手紙第 1 章 4 節で、パウロは「信仰の中にある神の分与(エコノミー)」に言及 しています。再び言いますが、「エコノミー」と訳されたギリシャ語は、「オイコノミア」です。ここの「神のエコノミー」のギリシャ語は、神の家庭のエコノミーという意味でもあります。神ご自身を キリストにおいて神の選ばれた人たちに分与すること、これが神の家の行政であって、その目的は、 神が一つの家を持って、神ご自身を表現することです(I テモテ 3:15)、キリストのからだです。パ ウロの務めの中心はこの神のエコノミーです(コロサイ 1:25I コリント 9:17)。

 

 

 


2.  彼の大いなる喜びによって神が立てられた計画

 

神の新約のエコノミーは、彼の大いなる喜びによって神が立てられた計画です。これについて、 エペソ人への手紙第 1 章 9 節は言います、「みこころの奥義をわたしたちに知らせてくださいまし た。これは、神がご自身の中で計画された彼の大いなる喜びによるものです」。神の大いなる喜びとは、神の心の願いを言います。この大いなる喜びとは、神がエコノミー、計画のために(10 節)、ご自身の中であらかじめ計画されたものです。この計画は神の大いなる喜び、神の心の願いによって 立てられました。

 

 神の大いなる喜びは、神がご自身の中であらかじめ計画されました。これは、神ご自身が神の永遠の目的の意図、起源、領域であるという意味です。神は計画、願いを持っておられ、またその計画 にしたがって、彼は目的を持っておられます。宇宙の存在は神の目的にしたがっています。天、地、 何億という項目、そして人類は神のあらかじめ計画された願いにしたがっています。ですから宇宙 には、一つの願い、神の願いがあります。この願いは神が計画されたがゆえに、だれ一人、何一つ、 それを覆すことはできません。神はご自身の中でこの願いをあらかじめ計画されました。彼はこのことについては、だれとも協議されませんでした。

 

 わたしたちは見てきましたように、エペソ人への手紙第 1 章 9 節は、神の大いなる喜びに言及しています。すべての人は喜びを求めています。わたしたちがそうであるなら、神も当然、喜びを求めておられるはずです。あらゆる生き物は喜びを求めています。事実、あなたが生きれば生きるほど、 さらに多く喜びを必要とします。神は最も生きている方ですから、確かに最も喜びを必要とされま す。もし堕落した罪人であるわたしたちでさえ喜びを必要とするなら、生ける方である神はどれほど喜びを必要としておられることでしょうか?

 

 ローマ人への手紙は、堕落した人の状態という観点から始めていますが、エペソ人への手紙は、 神の大いなる喜び、神の心の願いという観点から書かれています。それでは、神の大いなる喜びと は何でしょうか? 神の大いなる喜び、それは神ご自身をわたしたちの中に分与することです。こ れが神の唯一の願いです。神はご自身をわたしたちの中に分与することを「夢見ておられる」と言 ってもよいでしょう。彼が求め、切望しておられるのは、彼の選びの民にご自身を分与することな のです。

 

 多くのクリスチャンは、わたしたちにご自身を分与するという神の願いを軽んじています。彼ら はこのことを顧みないで、むしろ、いかに聖となり、霊的になり、勝利を得るかという教えのほうに 注意を払うかもしれません。多くの人たちは、神が一つのこと「わたしたちにご自身を分与すること。」を欲しておられるということを聞いたことがありません。

 

 

 ある意味で、信者はあまり多く神の分与を受けなくても、「聖く」されるかもしれません。しかし、 そのような聖は真実なものではないので、確固としていません。しかし、神がわたしたちの存在中に分与されるなら、わたしたちは本当に聖くなるでしょう。実際には、聖とは、神がわたしたちに主観的に分与されること以外の何ものでもありません。客観的な神はご自身に対して聖であり、ご自身だけが聖なのです。しかし主観的な神、すなわち、わたしたちに分与された神は、わたしたちの主観的な聖となります。ですから、わたしたちにとって、真の聖とは、わたしたちの存在に分与された 神なのです。すべてのことで彼ご自身をわたしたちに分与すること、これが神の大いなる喜び、神の心の願いです。


3.  神がキリストの中で立てられた永遠のご計画

 

 神のエコノミーとは、神がキリストの中で立てられた永遠のご計画です。これについて、エペソ 人への手紙第 3 章 11 節は言います、「神がわたしたちの主キリスト・イエスの中で立てられた、永 遠のご計画にしたがって」。もろもろの時代にわたる目的は、永遠のご計画、永遠の目的、神が永遠 の過去に立てられた永遠の目的です。

 

 神はキリストの中で、永遠のエコノミーを計画されました。聖書で啓示されたそのキリストは三 一の神の化身であり、彼は受肉、人の生活、十字架、復活、昇天、降下を含むすべての手順を経られ ました。このようなキリストの中で、神は永遠のエコノミーを計画されました。ですから、キリスト は神の永遠のエコノミーの要素、領域、手段、目標、目的です。キリストは神のエコノミーにおける すべてです。事実、神の永遠のエコノミーの全内容はキリストです。キリストはこのエコノミーの 中心、円周、要素、領域、手段、目標、目的です。エペソ人への手紙第 3 章によれば、このエコノミ ーはキリストの中で計画されました。


4.  三一において、選びの民に神ご自身を分与する

 

 神の新約のエコノミーとは、三一において、選びの民に神ご自身を分与する神の計画です。どのようにして神は三一において、選びの民に神ご自身を分与されるのでしょうか? この分与には三つの段階があります。第一に、それは父なる神からです。御父は源であり、起源です。第二に、この分与は経路である御子を通してです。第三に、神の分与はその霊なる神にあってですが、彼は手段、 領域です。父なる神から、子なる神を通して、その霊なる神の中で、このような三つの段階によって、神は選びの民にご自身を分与されるのです。

 

ウイットネス・リー著 「新約の結論」(1)メッセージ2より抜粋JGW日本福音書房