④ 神の心の願い

 

 友よ、罪に打ち勝つのがいかに難しいことか、ご存じでしょうか? 例えば、誠実のことについてですが、わたしたちの間で何人の人が誠実であるか、わたしにはわかりません。わたしは多くの地へ行きましたが、誠実な人には多く会っていません。少ししか話さないのは虚偽であり、あまりに礼儀正しく話すのも虚偽です。あなたが誠実な人になろうとするなら、それは容易ではないことを知るでしょう。私の友人は広東で、ある日、強盗に出会い、お金を要求されました。彼は、自分はクリスチャンであるからうそをつくことはできないと思いました。しかし、もし本当のことを言うと、お金は取られてしまいます。最後に、彼はしぶしぶ本当のことを告げ、ポケットの幾らかのお金をその強盗に見せました。この事例で、うそをつくことは彼を損失から救うことができたでしょう。しかし、誠実になるためには一つのうそもつくことができません。多くの時、人は思いの中で悪い考えを持っています。彼は人を憎み、赦そうとしません。彼は好んで批評し、人のうわさを広めます。わたしたちは常にうそをつき、聡明になりたがります。ところが、神はわたしたちの罪をすべて知っておられます。神はわたしたちのすべての罪を赦すだけでなく、彼の霊がわたしたちの内側で生きるようにしてくださいます。その霊はわたしたちを力づけて罪に打ち勝たせ、清くならせます。これが神の心です! 神は成したいことを、すでに成されました。わたしは救いについて、一句の言葉を大胆に言います。神の側には問題はありません。問題はあなたの側にあるのです。あなたは信じようとしますか? 神はあなたを救いたいとわたしは大胆に言います。わたしの友人の多くはすでに五十歳、六十歳です。彼らも大胆に、神はあなたを愛しておられると、証しすることができます。イエスが地上におられた間に語られた言葉を、もう少し読みましょう。

「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえに遣わされた者たちを石打ちにする者よ! めんどりが自分のひなを翼の下に集めるように、わたしはいくたび、おまえの子供たちを集めようとしたことであろう! しかし、おまえたちは応じようとしなかった。」(マタイ23:37)。神は成そうとしておられるのですが、人は願わないのです。エルサレムは都であり、主イエスは叫んでおられました。主はイスラエルの子たちを保護し、彼らを愛さないではいられませんでした。しかし、彼らは願いませんでした。ここに、自分が罪人であることを知っている人がいるでしょうか? 主は、あなたを愛し、あなたを救うことを願っていると言われます。あなたは今日、救われたいでしょうか? 神には問題はありません。あなたはどうでしょうか? あなたが今日、福音を聞いたのであれば、あなたが地獄へ行くことで、神を責めることができるでしょうか? 神は願っておられます。あなたは願っていない人です。神は願っておられますが、あなたは願っているでしょうか? わたしは今日、一つのことを言います。神はあなたを欲しており、あなたを愛しておられます。主は言われます、「いくたび、おまえの子供たちを集めようとしたことであろう! しかし、おまえたちは応じようとしなかった」。

 テモテヘの第一の手紙第24節は言います、「神はすべての人が救われて、真理の全き知識へ至ることを願っておられます」。神は、すべての人が救われるのを願っておられます。これが神の心です! 

ヨハネによる福音書第540節は言います、「しかしあなたがたは、命を得るためにわたしに来ようとはしない」。神があなたに命を与えられないのではありません。あなたが命を得ようとしないのです! ですから、あなたがここに座っている間、少しでも救われたいと願い、少しでも永遠の命を得たいと願い、少しでも罪から解放されたいと願い、少しでも天に行きたいと願うなら、あなたはそれを持ちます。なぜなら、あなたがそのようになることを、神は願い、望んでおられるからです。あなたが求めるなら、命を持ちます。神は何を願っておられるでしょうか? 神はすべての人が命を得ることを願っておられます。恐れないでください。神の側には問題はありません。問題はあなたの側にあるのです。