⑥ 変わらない神の願い

 

 最後に、ある物語をあなたがたに話しましょう。英国のオックスフォード大学に、ある教授がおり、彼はクリスチャンでした。彼には多くの息子がおり、彼らはみなオックスフォードで勉強していました。毎晩、彼の家では家庭礼拝をしていました。彼の四番目の息子は最も悪く、いつも言い訳をしては家庭礼拝に出ませんでした。彼は集会の始まる直前にそこを去るか、集会が終わった直後に家に帰るかしていました。ある日、彼が家に帰ると、集会はまだ終わっておらず、全家族が祈っていました。彼は、「行って、彼らが何を祈っているかを聞いてみよう」と思いました。彼は母親の祈りを聞いて怒りました。彼女は言いました、「神よ、わたしの四番目の息子は外で放浪しています。彼は遊び回ってお金を使い、あなたを畏れません」。その息子は怒って、心の中で言いました、「毋は長男や他の兄弟たちのためには祈らないで、ただわたしのために祈った! このような家にはもう住めない!」。彼は直ちに階段を駆け上がり、部屋のすべてのものを荷造りしました。彼は父親のお金を幾らか取り、両親に書き置きしました、「あなたがたは、わたしがあなたがたの息子にふさわしくないと思っておられるのですから、わたしはあなたがたの息子でありたくありません。わたしは出ていきます。さようなら」。彼は家を去りました。まず彼は大きなホテルに泊まりました。お金がなくなり始めると、彼は友人の家に移りました。その友人は言いました、「あなたはわたしの家にいても構いませんが、長くとどまっていることはできません。わたしたちは級友ですが、あなたのお父さんはわたしの教授です。彼がこれを知ったなら、良くないでしょう」。結局、彼はその友人の家を出て、小さなホテルに移らなければならなくなりました。お金は尽き始め、間もなく十分な食べ物、衣服、住居もなくなりました。そこで彼は家に帰ることを決心しました。日中、家に帰るのはあまりに恥ずかしいので、夜の12時を少し回って家に帰りました。彼は窓から入ろうとしましたが、窓はすべて閉まっています。彼はしぶしぶ門から入ろうとしました。驚いたことに、彼が押すと門は開き、鍵さえかけてありませんでした。彼はまっすぐ階段を上って自分の部屋に行きました。彼が戸を開けると、驚いたことに、彼の父親が戸口に向かって座っていました。彼はなおもかたくなで、すぐに語り始めました、「門に鍵もかけていないとは、不用心ではありませんか?」。父親は眼鏡を外し、息子の手を取って言いました、「わたしの息子よ! おまえが家を去った日から今日まで一年以上、門は閉めたことがないのですよ」。みなさん、これが父親の心です! 戸は一か月、あるいは半年間、開かれていただけでなく、閉められたことがなかったのです。これが父親の愛です! 多くの時、わたしたちは、自分は罪人である、神は自分を欲していないと思います。ところが、友人のみなさん、あなたがたに言わせてください。神は決して戸を閉められたことがないのです。神の側には何の問題もありません。すべての問題は、あなたの側にあるのです。罪人が神に来て、「わたしは罪人です。わたしはあなたを誤解していました。あなたはなおもわたしを受け入れてくださいます」と言うならば、その人は救われます。

 主イエスはかつて、放蕩息子のたとえを話されました。放蕩息子がまだ遠く離れていた時、彼の父親は彼を見て、哀れに思い走って行って彼の首を抱き、彼に囗づけしました。これは、神の心を表明しています。神は今日、あなたがたが家に帰るように呼んでおられます。イエスはあなたがたのために死なれ、聖霊が来られました。ここに座っている人はだれも、地獄へ行くべきではありません。あなたがたは地獄へ行ってはなりません。しかし、あなたがもし主を受け入れないなら、ほかに方法はありません。神は愛であることを、あなたがたが覚えていますように! あなたが神に、「わたしは罪人です。わたしはあなたを受け入れたいです」と言うなら、あなたは救われます。そうすれば神は喜ばれ、あなたも神と共に喜びます。神は愛です!