この聖書はその内容の約半分が預言です。そして、それらの預言のおおよそ半分は過去すでに成就されております。別の半分はこれから成就されるもので、少しの時を待たねばなりません。たとえば、モアブの国は将来どのようになるとか、アンモンの国はどのようであるとか、ツロの町、シドンの町は将来どうなるかと語っています。今日の人はロンドンや東京のことを語りますが、以前はみなツロや、シドンのことを語ったのです。それは最も有名な二つの大都市だったからです。この二つの大都市に対する預言は、その後すでに成就しました。ある時、わたしは中東に行きましたが、そこでこの二つの都市に関係のある二枚の写真を買いました。それを見たとき、わたしは改めて聖書を信じ直したほどの驚きでした。聖書は、かつてこの繁栄した二つの大都市について、「もしおまえが悔い改めないなら、町はこぼたれ荒れ果てて土の山となり、漁夫の網を干す所となる」と預言しています。わたしの見た二枚の写真は、ただ古ぼけた漁船が至る所にあり、あたり一面に網が干されていました。これは聖書の預言の真実性を証明するほんの一例です。
聖書はまた一人の王について、次のように記しています。ある日、神は預言者によって、「あなたはバビロンに捕らえられて行くでしょう」(エレミヤ三二・十二~十三)と言いました。そこで彼は心の中で、バビロンを見ないというからには、バビロンには捕らえられて行くことはないと思って安心していました。ところがある日、バビロンの王が攻めてきて町を攻め破り、その王を捕らえてバビロンに連れて行きました。途中リブラで、バビロンの王が彼の両眼をえぐり取ったので、彼はバビロンに捕らわれて行ったけれども、バビロンを見ることはありませんでした(エレミヤ五二・十~十一)。預言はやはり、確実に成就したのです。もしあなたが過去の事実を持ち出して、聖書の預言と照らし合わせてみるなら、一つとして成就していないものはありません。イエス・キリストが誕生する数百年も前に、預言者イザヤはイエス・キリストについて預言して、「処女がみごもって子を生むであろう」と言いました。だれもが知っているように、後に彼は処女マリヤから生まれました。この預言も確実に成就されました。過去にそうであったように、将来も必ずそのように成就するでしょう。